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New Context
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空港のギフトショップ「ANA FESTA」に来店して「顔認証」すると、ANAのマイルが貯まるーー。2023年、ANA Digital Gateと日立製作所は全国の空港を舞台に、顔認証技術を応用した共同実証実験「顔認証スタンプラリー」を行った。将来的にはこうした生体認証を用いたサービスを空港内だけでなく、レンタカーやホテルなどさまざまなトラベル導線と連動させ、観光地全体のユーザー体験向上につなげていく考えだ。ANA Digital Gateが描く、観光の未来図を聞いた。
ANA Digital Gate株式会社 マーケティングソリューション部 事業開発課 課長
松野 来悠
2015年全日空商事株式会社に入社。ANAの機内媒体や空港OOHなどの代理店営業および新規媒体開発に従事。2020年にANA Digital Gate株式会社へ出向。日常でもANAやユナイテッド航空のマイルが貯まるシーンの拡大に向けて、マイル提携パートナーの新規開拓営業を牽引した後、現在の生体認証技術を活用した新規事業に携わる。
ANA Digital Gate株式会社 マーケティングソリューション部事業開発課
小林 俊博
2018年全日空商事株式会社に入社。ANAの機内媒体や空港OOHなどの広告販売営業に従事。2021年、ANA Digital Gate株式会社へ出向。日常でもANAやユナイテッド航空のマイルが貯まるシーンの拡大に向けて、マイル提携パートナーの新規開拓営業に携わった後、現在の生体認証技術を活用した新規事業に携わる。
実証実験のきっかけは、ANA Digital Gateの株主であるDGフィナンシャルテクノロジーから日立製作所を紹介されたことに遡る。当時のANAグループは、グループが保有する4,000万人もの顧客資産を最大限に活用できていないことに課題を感じていた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で航空事業以外での収益が求められるなか、ANA経済圏を拡大する構想を描いていたのだ。
一方で日立製作所は、最先端の生体認証技術を保有するも、その商用化とシステムの普及に課題を感じていた。両社の課題を同時に解決すべく、以前から実証実験を繰り返してきたと松野氏は語る。
「実は顔認証サービスの実験をする前年にも、日立製作所様とは指静脈を使った生体認証の実証実験を行いました。ゴルフ場の受付業務を効率化することを目的に、指静脈だけでチェックインできるようにしたのです。実験は無事に成功し、日立製作所様の生体認証の可能性を感じた私達は、次のプロジェクトにも期待していました」
指静脈による生体認証に続いて日立製作所が提案した顔認証技術を試す場となったのが、冒頭の「顔認証スタンプラリー」だ。新型コロナウイルスの感染拡大が収まり、空港へ人が戻ってきたタイミングで、いかにショップの売上増大に寄与できるかを目的に企画がスタートした。
参加者には事前にご自身のデバイスで個人情報や顔の生体データを登録してもらい、全国11空港20店舗に設置されたカメラの前に立つだけでマイルがもらえるという仕組みだ。1チェックインごとに30マイル、最大900マイルまで獲得できたという。半年間行われた実験には、当初想定していた登録者数5,000人を大きく上回る約3万人もの方が参加し、認証された回数は約13万回にものぼる。実験の成果から得た学びと課題について、小林氏はこう語った。
「想定を大きく上回る方々に参加いただいたものの、システムエラーは一回も起きず、認証技術の安定性を確認できる有意義な実験になりました。また、実験に参加した方の8割が今回の企画をきっかけにANA FESTAへ来店したとのアンケート結果もあり、店の認知拡大、来店促進にも大きく貢献できたと思います。
一方で、多くの方に足を運んでもらったわりに、思ったような売上増大に繋がらなかったのは大きな課題です。単に来店を促すだけでなく、クーポンを発行したり、より参加者お一人お一人にあったおすすめ商品を提示したりするなど、もう一歩踏み込んだ施策が必要だと感じました」
実証実験の様子。店舗に設置されたカメラで顔認証すると、マイルがもらえる
今回の実験において、文字通り“ポイント”となったのはマイルだ。実験の参加者からは「顔認証が楽しかった」という声もあったが、参加した動機はマイルに他ならないだろう。今回、3万人もの方がキャンペーンに参加したのは、マイルをインセンティブにしたからだと言っても過言ではない。
ANA経済圏拡大への大きな足がかりを得た実験になったが、今後の取り組みについて「必ずしも私達のマイルをインセンティブにする必要はない」と語ったのは小林氏だ。
「一連のキャンペーンはANA経済圏を広げることが目的ですが、今後はキャンペーンの参加者に合わせて親和性の高いポイントを採用したいと思っています。ANAはスターアライアンスに加盟しておりますので、たとえばユナイテッド航空のマイルを付与することもできますし、過去にもnanacoポイントを活用した実績もあります。中にはポイントを貯めていない方もいらっしゃいますので、そのような方には『日本赤十字への寄付』などの特典を用意したいと思っています。どんなインセンティブを用意できるのか、さらに可能性を探っていきたいですね」
マイルをインセンティブにしたとは言え、実験の成功を支えたのは紛れもなく日立製作所の顔認証技術だろう。いかに参加者を募ろうとも、システムエラーが連発したりトラブルが起きるようでは、キャンペーンは続けられない。ANA Digital Gateが日立製作所をパートナーとして選んだのも、そのシステムの安全性と強固なセキュリティ技術にあったと松野氏は言う。
「お客様を目的地まで安全にお届けするサービスを提供している私達が、個人情報を漏洩していてはブランドにも大きな傷がつきます。特に現在は個人情報の問題はとてもセンシティブなため、日立製作所様の持つ高いセキュリティ技術はとても魅力的でした。
実は実験で得た生体情報は、日立製作所様の持つ特許技術によって復元できないようになっています。そのため、仮にデータが外部に漏れてしまうことがあったとしても、データを復元できないためプライバシーは守られるのです。そのような技術は、サービスをご利用されるお客様にも大きな安心に繋がると思います」
実際に実験を行ってみて、顔認証技術のメリットについて小林氏は「手離れのよさ」と答えた。スタンプラリーは昔からある施策で、かつては紙とハンコ、最近ならスマホを使って行われている。それを顔認証技術に置き換えることで、スタンプはおろかスマホもいらず、顔ひとつでスタンプラリーを実施できるため、運営側と参加者側の両社の負担を減らせると言うのだ。
今後はより幅広いシーンでの顔認証技術の利用を考えており、最終的に描いている構想として「家を出てから帰宅するまで、スマホなしで旅行を楽しめるようにしたい」と語る。
「搭乗ゲートでの活用はもちろん、飛行機を降りてレンタカーを借りる際も、全て顔認証で手続きが済ませられるようにしたいと思っています。さらには、さまざまな事業者と繋がることで、観光施設での入館証や飲食店、おみやげ店での決済にも使えたら、より旅行が楽しめるはずです。顔認証はあくまで技術でしかないため、さまざまなシーンで利用することでその価値が高まっていきます。汎用性の高い技術なので、これまで繋がれなかった事業者とも連携できる可能性を持っていると期待しています」
顔認証技術が価値を発揮できるのは、決して旅行シーンだけではない。災害時にこそ真価を発揮すると言うのは松野氏だ。地震や津波が発生した際、着の身着のままで逃げる被災者たちは身分証明書を持っていないことも多い。身分証が土砂に流されたり、火事などで燃えてしまうと、その後の本人確認の手間が非常に大きくなる。そんな時に生体認証を導入していれば、身分証がなくても本人確認ができるため、自治体の手間も減らせるというのだ。
「いきなり災害時のために顔認証技術を導入するのはハードルが高いですが、マーケティング支援として導入できれば、そのハードルは大きく下げられます。自治体は地域事業者の集客を応援したいと考えているため、今後は自治体の連携も積極的に行っていきたいと思います」
指静脈認証、顔認証と最先端技術を利用したキャンペーンに積極的なANA Digital Gate。次に注目している技術について聞くと、松野氏は「虹彩認証」と答えた。
「高精度な認証技術を誇る顔認証ですが、帽子やマスクをしていると認証できないこともあります。しかし、目にある『虹彩』を使えば、濃いサングラスでもしない限り認証できるため、よりお客様の負担を減らせます。今はカメラ技術が進化しており、顔認証と同じくらいの距離でも虹彩を識別できるようになりました。これからも進化していく生体認証技術を使って、よりスムーズに認証できる技術に注目しています」
松野氏が認証技術に注目している一方で、小林氏が注目しているのは特典に関する技術だ。実験後のアンケートの中にも「もっとドキドキするような特典がほしい」という声もあり、マイルだけではない特典の必要性を感じている。
「具体的に考えているのはNFT技術です。日常でも使えるマイルをもらえるのは嬉しいことですが、さらなる特別感を演出するには『限定品』という軸も喜ばれるのではと考えます。たとえば、自治体と組みながら地域限定のNFTアイテムを特典にすることで、より参加したくなる仕組みを作っていきたいですね」
今回の実証実験は、ANAグループと日立製作所という大企業のオープンイノベーションでもある。今や大企業同士の共同プロジェクトは決して珍しくないが、うまくいかないケースも少なくない。そんな中、2回ものオープンイノベーションを成功させた要因について、松野氏は「日立製作所様の柔軟な姿勢」だと語る。
「私の個人的な見解ですが、通常、日系の大企業は社内調整などに時間がかかり、細かい要望にも応じてもらえないケースが多いと聞きます。しかし、日立製作所様は私達の要望や加盟店からのニーズにも真摯に向き合ってくれて、スピーディーに対応してもらえました。今回のプロジェクトをいち早く形にできたのも日立製作所様のそのような姿勢があってこそだと思います」
小林氏も松野氏と同じように、実証実験の成功要因は日立製作所の取り組む姿勢にあると語る。この2年に渡る両社の取り組みは、見ようによっては技術ベンダーとクライアントの関係と見られてもおかしくない。しかし、現場でプロジェクトを進めてきた小林氏は「断じてそのようなことはない」と語った。
「2年に渡って一緒にプロジェクトを進めてきましたが、日立製作所様は常に私達と同じ土俵でディスカッションしてくれました。日立製作所様は技術を提供してくれている立場なので、それだけでも価値があるのですが、プロジェクトの最後まで同じ立ち位置でいてもらえたのは非常に心強かったです。技術的なことはもちろん、プロジェクト全体にも助言をもらえ、私たちの要望にもテンポよく答えてくれたのが、実験が成功した最大の要因だと思います」
最後に、今回の実験の延長線上にあるビジョンについて松野氏に語ってもらった。「財布もスマホも持たずとも、旅行を楽しめる世界」という答えに、小林氏も大きく頷いていた。
「モノを介して本人認証をしたり決済をしているうちは、モノをなくすリスクや不正利用されるリスクが常につきまといます。もしも認証技術を使って、身体ひとつで本人認証から決済までできれば、安心かつスマートな旅行を実現できるでしょう。そんな世界を実現するために、今後も積極的に最新技術の活用に取り組んでいきたいと思っています。
一方で、サービスをご利用されるお客様に最新技術を活用してもらうためのサポートも課題になっていくはずです。今回も、実験に参加する方が登録できない時は、私たち自らお客様に直接会ってサポートしながら生の声を聞いてきました。それらの声を活かしながら、誰でも簡単に最新技術を使いこなせるUI・UX設計を作り込んでいくのが今後の課題になっていくと思います。」