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2030年までに世界で1兆5,000億ドルに成長すると予想されている「フィンテック市場」。次々に新しいサービスが誕生し、その領域も広がりを見せている。投資家はそれらのスタートアップや、フィンテック市場の未来をどのように見ているのだろうか。今回はDG Daiwa Venturesでフィンテックスタートアップを中心に投資している野島隆太郎氏にインタビューし、フィンテックの可能性について語ってもらった。
株式会社DG Daiwa Venturesプリンシパル
野島隆太郎
ボストン大学ビジネス学部卒業後、SMBC日興証券に入社し、化学・ヘルスケア・インフラ業界の投資銀行業務に従事。その後、SBIグループのベンチャーキャピタル部門において、主に東南アジアと欧州のフィンテック企業やインターネットサービス企業に対してベンチャー投資を実施。2021年2月よりDG Daiwa Venturesに参画し、国内外のフィンテック企業への投資を行う。
「“Finance(金融)”דTechnology(技術)”」を意味するフィンテックという言葉が社会に浸透するようになったのは2015年ころからではないだろうか。マネーフォワードをはじめとする「家計簿アプリ」を皮切りに、個人のお金を管理するサービスが台頭し始めた。しかし、野島氏が言うには、1999年にはフィンテックの概念は存在していたという。
「当時、PayPalの創業者であるピーター・ティールが『5年後にはインターネットアクセスがある携帯電話の数が10億台になる。そんな環境になれば、携帯電話から銀行口座へのアクセスや送金も可能となり、すべての人が金融サービスを簡単に享受できるようになる』とインタビューに答えています。実質的にこれがフィンテックの起源だと言えるでしょう。
実際に彼は決済サービスという形でフィンテックの市場を作り始めました。しかし、アメリカでもすぐにフィンテックが普及したわけではありません。なぜなら、当時はインターネットに繋がる携帯電話が少なく、今のような便利なサービスではなかったからです。フィンテックが広がるきっかけになったのが、スマートフォンの普及です。誰もが自由にインターネットに繋がれるようになり、フィンテックが浸透しはじめました」
現時点で日本よりもフィンテック市場が成熟しているアメリカ。その差が生まれたきっかけになったのも、スマートフォンの普及と言っていいだろう。いち早くスマートフォンが普及したアメリカは、それだけフィンテック市場の立ち上がりも早く、著しい成長を遂げてきた。他の国を見ても、スマホの普及がフィンテック市場の成長に寄与していると言えるだろう。
また、スマホの普及の他に、フィンテック市場の成長に大きく関連するのが「レギュレーター」の存在だ。金融業界は規制産業のため、各国で金融庁のような「レギュレーター」の姿勢によって市場の動向が大きく左右される。特に金融商品は消費者保護が強く求められるサービス。国が新しいサービスや技術の導入に慎重になるほど、フィンテックの成長は鈍化し、規制を緩和するほど市場の成長に繋がるというわけだ。
さらに野島氏は、フィンテック市場の成長には「先進国と新興国の壁」があると続けた。
「新興国は先進国に比べて、大きな成長可能性を秘めています。新興国では金融サービスが従来の金融機関から行き届いていない人口が多く存在するためです。日本では誰もが当たり前に持っている銀行口座も、新興国では持っていない人が今も多いです。そのような新興国では、スマホから簡単にアクセスできるネット銀行(ネオバンク・チャレンジャーバンク)や消費者金融サービス等が瞬く間にサービスを拡大しており、圧倒的な速度で金融サービスが浸透してきました。
日本でもネット銀行は生まれていますが、従来の金融機関で既に銀行口座を持っている日本人にとっては、新興国の方たちと比べると魅力的に映らないでしょう。新興国では、従来の金融機関からのサービスを享受することなく、スマートフォンを介してそれを超えるほどの最先端の金融サービスを受けられるようになる『リープフロッグ』が起きているのです」
世界のフィンテックの動向について見てきたが、視点を国内に移してみよう。日本でもフィンテック市場が注目され始めてから約8年の月日が経ち、「個人向けフィンテック」に関して言えば、ある程度市場は成熟してきたと言える。
金融サービスは大きく「銀行」「保険」「証券」に分類されるが、個人向けサービスに関してはどれもある程度デジタル化を果たしてきたということだ。今や銀行口座にはスマホから気軽にアクセスでき、保険や株・債券などの投資商品もネットで簡単に購入できる。決済サービスも充実しており、今や財布を持たずとも外出できる時代だ。
「今後も新たな個人向けフィンテックサービスは誕生すると思いますが、市場はある程度成熟してきたと見ています。今後、個人向けフィンテックサービスが市場として成長を続けるには、多くの人がデジタル化した金融サービスを受ける中で、それらの個人に対して最適な金融商品を提供できるかが鍵となるでしょう。
一方で、今後大きな市場拡大を見込んでいるのが法人向けのフィンテックサービスです。これだけ個人間決済がデジタル化したのにも関わらず、多くの企業間同士の取引や決済では未だに紙やPDFが利用されていますが、今の技術であればより効率化できるはずです。また、企業の信用をより正確に可視化できるようになれば、リアルタイムな資金ニーズが発生する運転資金などにおいて金融機関からの貸付も、よりタイムリーかつ効率的に行えるようになるでしょう」
フィンテックが他の業界と大きく異なるのは、グローバル展開の壁が著しく高い点だ。先述したように金融業界は規制産業のため、国によってルールやお金に対する価値観も大きく違う。野島氏によると、例えば日本や欧州は保守的な金融サービスを好むのに対し、アメリカではアグレッシブな金融サービスが好まれ、負債を持つことにも比較的抵抗が少ない。
一方でグローバル展開はスタートアップの大きなテーマだ。国内でしかサービスを展開できなければ、それだけ事業の成長も限られるため、投資家にとっても大きなチェックポイントになる。そのような点について野島氏はどのように考えているのだろうか。
「確かにフィンテックではグローバル展開が難しいのは事実です。日本でサービスが成功したからといって、規制や金融商品に対する商習慣の異なる他国で展開するのは容易ではありません。新しいレギュレーターとの交渉にも時間がかかりますし、ほとんど0から新しく事業を立ち上げるだけのコストがかかります。しかし、グローバル展開が難しいからと言って、サービスの魅力が損なわれるわけではありません。なぜなら、規制産業ということは、海外の企業が日本市場に参入するのにも大きなハードルになり、参入障壁ともなるからです。
加えて、規制産業である金融業界は、それだけ市場性があり国内市場だけでも十分な利益を見込める非常に魅力的な市場です。だからこそ、フィンテックに限ってはグローバル展開できないことは、決してマイナス要素ではないと思っています」
一方で、グローバル展開しやすいフィンテックサービスもある。ネット決済サービスやフィンテックSaaS(Software as a Service)など、規制の少ないビジネス領域だ。一見、そのようなサービスの方が将来性があるように見えるかもしれないが、話はそう簡単ではない。そのような領域は、規制の強い領域でのフィンテックに比べて利益も薄くなり、参入障壁も低くなりがちだ。海外の競合にも対策しなければならないため、より過酷な戦いが強いられるという。
また、野島氏はフィンテックスタートアップを評価する際に、市場性だけでなく「チーム」にも注目していると語った。単に優秀な人材が集まっているかどうかだけでなく、金融庁をはじめとした規制当局や、新しい金融サービスを展開する上でパートナーとなりうる従来の金融機関と対等に話せるメンバーがいるかどうかが重要だという。
「金融庁などと対等にコミュニケーションをとるには、業界経験の長いいわゆる『グレイヘア』と呼ばれる人材が必要です。金融事業者は消費者保護の観点から信頼性・誠実性・透明性・安全性が非常に大事な要素となります。どんな素晴らしいビジネスモデルでも、業界について深い知見を有している人材がいないチームは信頼性に欠け、規制当局から疑問視される可能性があるでしょう。信頼できないサービスはユーザーも使用を躊躇うため、我々投資家もそのような金融事業者には安心して投資はできません。スタートアップにとっては、いかにグレイヘアを含め業界に深い知見とネットワークを有している人材をチームに引き込めるかが大きなポイントになると思います」
フィンテック市場の成長に欠かせないのが最先端の技術だ。投資家は、いったいどのような技術に注目しているのだろうか。野島氏は「次世代決済手段」と答えた。決済手段は、過去5年を切り取っても現金からキャッシュレスに急激なシフトを遂げている。近年ではQRコードやNFC(近距離無線通信)タグが、既に決済のゲームチェンジャーとなっている。電子決済はPOSデバイスよりも安価で、データの活用が非常に容易になるため、決済の概念を大きく変える可能性があるという。
「A2A(Account to Account)」と呼ばれる決済方法にも高い関心を寄せている。クレジットカード事業者やQR支払い事業者などの仲介業者を経ずに、直接銀行口座から支払いを完了できる仕組みで、既に欧州を中心に浸透し始めている。仲介業者へ支払う手数料が削減されるため事業者が負う決済手数料が下がるだけでなく、即時入金になることで事業者のキャッシュフローが改善し、クレジットカードなどによる不正決済の低減も見込めるという。
そして、それ以上に注目している技術として「AI」を挙げた。「既に金融業界ではAIが活用され始めていて、例えば『AIチャットボット』がその一例です。これまでもチャットボットはありましたが、それは事前に用意された質問にしか答えられませんでした。しかし、生成AI技術を使えば、個人にカスタマイズした返答が可能になります。例えば、その人の資産状況や収入などから適切な借入先・保険・投資商品を提案することもできるようになります。また、金融機関などが独自に開発したAIを作ることで『ハルシネーション』と呼ばれる事実に基づかないもっともらしい嘘を生成してしまう現象もある程度は防ぐことができるようになれば、将来的に金融機関における人的なミスを減らせますし、AIが対応できる幅を拡大することで情報の確実性を担保し、人々が投資詐欺に流れることも防げる可能性があると期待を集めています」
「最近ではアップルやアマゾンがクレジットカードを発行したり、ウーバーがデビットカードを発行したりしています。決済や貸金と言った金融サービスはどの業種においても一定程度親和性があり、さらに金融サービスを通じてエンドユーザーとの接点を増やすことができます。最終的に顧客満足度を上昇させ顧客流出を防ぐことが期待できることから、今後もさらに金融サービスの展開を目論む事業者は増えていくでしょう。しかし、業界未経験の企業がいきなり金融サービスを始めるのは容易ではありません。そこで注目を集めているのがBaaSです。米国の著名ベンチャーキャピタルAndreessen Horowitzのパートナーであるアンジェラ・ストレンジ氏が『すべての企業はフィンテック企業になる』と言ったように、今後はさまざまな企業が金融業界に参入し自分たちの経済圏を築いていくでしょう。その大きなムーブメントを支えるのがBaaS企業になるはずです」
すべての企業がフィンテックに参入する時代が訪れると聞いても、ピンとこない方も多いのではないだろうか。どのようなケースが考えられるのか、野島氏に事例を聞いてみた。
特にフィンテックと相性がいいのは、車や家電といった高単価の商品を扱う産業だと言う。高額商品を売る際に、顧客の信用度を見ながらレンディング(貸付)するようなケースだ。既に、家電業界の中には銀行との接点を拡大して、高額商品も買いやすくするサービスを始めた企業も現れている。
また、商品だけでなく高額なサービスも扱う業種も同様だ。たとえば旅行業界では保険を持っていない顧客に対し、その場で保険を提供したり、旅費が高額になる場合には貸付を行うことも可能になる。
「既存の金融プレイヤーにとって、最も脅威となるのは既に多くの顧客を抱えているGAFAのような企業です。例えば楽天は、自身の経済圏の中で銀行や保険サービスを提供していますが、今後そのようなプレイヤーが増えれば既存の銀行や証券会社は大きなダメージを負うでしょう。
また、法人向けサービスの中では、これまで財務以外の社内情報を扱ってきたようなSaaSサービスにも大きなビジネスチャンスがあると思っています。たとえばセールスフォースのような営業管理ツールが、財務情報も管理するようになれば立派なフィンテックサービスになります」
最後に、他業界の企業が金融サービスを提供するにあたってのアドバイスをもらった。その一つが「ローンチを焦らないこと」。
「金融サービスを提供するのはさまざまなメリットがありますが、同時に大きなリスクも存在します。たとえば企業のイメージダウンです。日本人の中には、金融業界にネガティブな印象を持っている方も少なくありません。せっかく自分たちのプロダクトが好きなユーザーを獲得しても、金融サービスを始めることで『お金儲けに走った』と思われればファンが離れる恐れもあります」
そして、2つ目のアドバイスが「BaaSを使え」だ。金融サービスを始めるのは決して難しくない。金融庁からのライセンス承認さえとれれば、誰でも金融サービスを提供することはできる。しかし、ノウハウがなければリスク分析を誤り会社のコア事業から作りあげた大事な収益源を水の泡にしてしまう可能性もあるため、素人が手を出すには難しい業界でもある。
金融サービスによって得られるリターンはもちろん高いが、そのリスクを十分に理解しなければならないのだ。金融サービスという収益源となりうるサービスの良さを維持したままリスクをできる限り低減させるためには金融業界のノウハウが詰まったBaaSを活用するのは欠かせないだろう。
「特に最近は、メインのプロダクトで利益が出る前に金融サービスで利益を出そうとするスタートアップも見かけるようになりました。確かに金融サービスで収益の柱を作るのは大事な戦略ですが、それはメインプロダクトあってのことです。プロダクトをローンチする前に、自分たちのミッション・バリューは何なのか、プロダクトで誰にどんな価値を届けたいのか、今一度原点に立ち返って考えることで長期的な事業成長を達成できるのではないかと考えています」